大津地方裁判所 昭和35年(わ)5号 判決 1960年9月22日
被告人 片尾忠治郎
昭三・六・五生 猟師
主文
被告人を懲役八年に処する。
未決勾留日数中二〇〇日を右本刑に算入する。
領置してある猟銃一挺(証第一号)、散弾実包一ヶ(証第二号)、散弾一四五ヶ(証第四号)、薬莢二ヶ(証第五号)はいずれも被害者藤本松雄に還付する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は一七、八才の頃から不良交友を始め、金銭に窮しては家庭を飛び出して諸所の飯場に入り、土工として働いて得た金で遊興し、金を使い果すと家に戻り、又飛び出し転々と職を変えるといつた放縦な生活を続け、果ては覚せい剤やアルコールの中毒に罹り、その間窃盗、傷害等で実に一一回に亘り刑を受け、飲酒の上父に対しても乱暴を働くという乱行により実父梅吉や家族の者がもて余していたが、妻をめとり、長男の出生後は比較的所業も改まり、生活も稍安定するようになつたが、酒癖は一向改まらず、飲酒の上父梅吉と再三口論し、頑固、小心な父と自己中心的な被告人の間がうまくゆかず、父が被告人の従来の所業から実弟梅秋に比し被告人を冷遇しとかく邪魔者扱いされることに反撥を感じていたところ、偶々昭和三四年四月頃弟梅秋に対し飲酒の上、自分を邪魔者扱いすると憤慨して自室に預つていた新婚早々の梅秋夫婦の荷物を庭に放り出したため、激怒した梅秋により斧や四つ鍬をもつて頭部等を殴打されて瀕死の重傷を負わされたが、この事件により一層弟に対する反撥心をつのらせ、折に触れ殊に飲酒の上弟の右のような仕打ちを思い起しては恨みを懐き、更には弟が自分を殺そうとしている等とあらぬ被害妄想に取り憑れていたものであるが、昭和三五年一月一日に至り、同日は朝から大津市下阪本町比叡辻町二七番地の一今井清祐、藤本松雄等と共に高島方面まで鴨猟に出かけ、その後右今井方で飲酒して午後八時過頃帰宅したところ、妻秀子から自己の長男隆一(当六年)が梅秋に些細なことで殴打され、頭部に瘤をつくつたことを聞知するや、日頃の憤懣その極に達し、この際梅秋を猟銃で撃つて復讐しようと決意し、直ちに自転車で前記今井方に至り、同家四畳半の間に置いてあつた藤本松雄所有の中折式単発猟銃(口径一二番)一挺及び四号散弾実包三発(一発中散弾約百数十発含入)を窃取し、これらを携え、途中右猟銃に散弾実包一発を装填した上自宅南側離家に居住する梅秋方に至り、縁先から右猟銃を構えて同家居間で片尾重蔵等と話をしていた梅秋に対し約四、五米の至近距離から急所をはずして銃口を向け、「梅秋今日わしの子を」と叫んで発砲し、同人の右肘関節部に命中させて散弾による発火銃創を与えたところ怒つた梅秋がこれに屈せず同家台所からたる木一本(証第六号)をひつさげて追跡してきたので頑健な梅秋に追いつめられては身体の不自由な自分はいかなる報復を受けるやも図られずむしろ同人を殺害するもやむなしと考え、自宅附近道路上で右猟銃に散弾実包一発を装填した上、自宅東の西谷平六方北側附近道路において、追跡してきた梅秋に対し右猟銃を構え同人の上半身を狙つて発砲し、同人の胸部に命中させてその前胸部を貫通し、よつて同人を同月六日午後六時一〇分頃同市真西町大津赤十字病院において胸部散弾銃創による化膿性心襄炎のため死亡するに至らしめて殺害したものである。
(証拠の標目)(略)
(法令の適用)
被告人の判示所為のうち、窃盗の点は刑法第二三五条に(この点については、先ず猟銃に関し、被告人が述べているように猟銃は使用後返還するつもりであつたとしても、それを一時狩猟に使用する場合は格別、本件のように人を脅迫し、更に場合によつては殺害する凶器として使用する意図で持出す以上、よしその犯行後において一定期間該猟銃が証拠物件として押収されるであろうとの正確な認識が存しなかつたにせよ、少くとも犯罪に伴い何らかの形で相当な期間猟銃の所有者の使用を妨げる事情が発生するであろうとの確定的ないし未必的認識は、猟銃を本件のように犯罪行為の手段として使用すること自体に当然随伴するといわねばならず、このような使用の仕方は正しく猟銃の所有者の利用を妨げその意味で猟銃を無断で狩猟に使用する場合とは質的に異つた形で所有権の侵害をもたらすものであり、他面本件のような使用が所有者の事後の宥恕を決定的に否定する意味で所有者の意思を全く無視して敢えて無断使用したといえるのであつて、猟銃について不法領得の意思を否定し得ない。次に散弾実包については、これを猟銃にこめて発射すれば消費せられるものである外、自動車の無断一時使用の場合のガソリン消費とは異り、散弾窃取行為は猟銃のそれとは全く独立した行為であり、科刑上包括一罪として処理されるにせよ、独立に評価をうける以上、これについて窃盗罪の成立することは論をまたない。)
殺人の点は同法第一九九条に該当するが、殺人の罪については所定刑中有期懲役刑を選択し、以上は同法第四五条前段の併合罪であるから同法第四七条本文、第一〇条により重い殺人罪の刑に同法第一四条の制限内で法定の加重をした刑期範囲内で処断することとなるが、被告人の情状について考えるに、本件犯行の動機の薄弱さとその殺害方法の残虐さ、更には被告人の従来の所業及び社会的危険性等は法の悛厳な適用を要求するが、反面被告人が慢性酒精中毒者で道徳意識の低下と爆発的、昂奮性性格を有し、本件犯行時において軽度ではあるが酩酊状態にありしかも前認定のように昭和三四年四月の事件により被害者に対し憎悪と被害妄想を併せ懐いていたため、以上の諸事情が重なつて犯行当時心神耗弱には相当しないが事理の弁別能力がかなり減弱していたこと(前掲石田医師の鑑定書)更に前認定のように、被告人の第一回の射撃には殺意は認められなかつたが、被害者に追跡せられ、一種防衛的意識の下に第二回目の射撃が敢行された事情等をかれこれ勘案し、被告人を懲役八年に処することとし、同法第二一条により未決勾留日数中二〇〇日を右本刑に算入し、領置してある猟銃一挺(証第一号)、散弾実包一ヶ(証第二号)、散弾一四五ヶ(証第四号)、薬莢二ヶ(証第五号)は刑事訴訟法第三四七条第一項により窃盗事件の被害者藤本松雄に還付し、訴訟費用は同法第一八一条第一項但書により被告人に負担させないこととし、主文のとおり判決する。
(裁判官 江島孝 佐古田英郎 吉川正昭)